1958年 国産プラモデルをはじめて立ち上げたマルサン商店であったが、当時数社しか
なかったプラモメーカーも10年が経ち30社を超える業者乱立の時代に入っていた。
ピーナツ・シリーズでプラモデルを子供達の世界に浸透させた業界大手三共模型も
すでになく、パイオニアという自負だけでは過当競争を生き抜くにはあまりに苦しい状況に
おかれていた。
1967年 「マルサン商店」はある姓名判断師の進めにより、社名を変更
することとなる。
「マルザン」である。 マルサン=丸散(円が散る)から・マルザン=丸残へ
とその名を変えた。
こんな霊感まがいの薦めにより、社名まで変更しなけばならなかった当時
のマルサンの苦境は想像に難い。
しかし、このような改名で状況が好転するはずもなく,翌1968年12月20日
マルザンは倒産する。
結局、マルザンと名乗った期間は1年と5ヶ月という、短い期間であった。
ART NO. 520
<355×400×55>
1/3スケール
アメリカ レンウォール社
のコピー。
コピーといっても最大メーカー・レベルなども矢張り
コピーしていたし、当時としては驚くようなことでもない。
透明模型を美しく完成させるための鉄則は、
いかにクリアー・パーツの接着に十分な注意力と熱意と
忍耐力を発揮できるかにかかっている。
内臓・骨・そして血管などを美しく彩色
(不気味な理科室の生体模型のあの色です)
無論塗料は
プラカラー
実は”プラカラー”という名称もマルサンの登録商標でした。
当時、この塗料の分野でもマルサンは圧倒的なシェアを
ほこっていた。
生 体 透 視 模 型
<レンウォール版
ビジブル・ドッグ>
< ART NO. 519 >
<445×415×75>
1/7 スケール
これもかなりの大型モデル
で
定価 ¥2000 でした。
< ART No. 862 >
<250×330×65>
10/1 スケール
注意 10月1日ではなく10倍ということです。
プラモの世界で等倍以上のものは、昆虫・両生類
くらいか。
プラスチックモデルにあって、最も好みが分かれるものにビジブル
モデルがある。 透視解剖模型などと当時呼ばれ、人間・動物・飛行機
潜水艦、はては戦車にまで至った。
本格的なスケール物から駄菓子屋レベルまで多岐にわたり、一世を
風靡したモデルたちである。
内部構造まで再現してあるので同一スケールの一般的のものより高価
でたやすく手に入れることは出来なかったが、だだこれを一旦組み立て
ると、その出来ばえに”感嘆”し宝物のようにいつまでも見詰めていた。
むろん実際にそれらの内部まで覗いたわけではないが、それまで存在
したソリッドモデルでは絶対にまねの出来ない、プラスチックモデルなら
ではの芸当に、こんな未知の世界もあるのだ・・・化学技術がもたらすで
あろう何とも素晴らしい世界に胸躍らせたものであった。
ブリキ・木製が中心であった当時、このクリアーな新しい素材の登場は
子供達に確実に新時代が到来することを告げていたのである。
箱はかなり大きく、そして深い。 携帯と比較下さい。
”偉大なる 頭脳” は 1/1スケール つまり実物大の
人間の頭部という、何とも気持ちが悪いモデルです。
上の画像のセンターのモノが頭部のクリアーパーツ・・・。
当時このモデルは ¥3000という恐ろしいほど高価な
もので、マルサン製品の中では一部スロットカーを除き
純粋なプラスチックモデルの中では一番定価の高いもの
でした。
戦車模型 今井科学の全長400mmもあった 1/15
4号戦車が¥2500
日本ホビーの1/250大和が ¥3200でしたから
この種のモデルとしてはいかに高価であったかがわかる。
これはマルサンのモノではありません。
マルサン製は半面塗装済みです。
上の箱は発売のままの箱。 下の箱は ART NO に
定価のシールが貼られている。 ¥1200でした。